
九谷焼の開窯創業についてはいろいろな説に分かれていますが、一般には明歴元年(1665)頃、加賀藩の命により有田で陶技を学んだ後藤才治郎が、江沼郡九谷村で開窯したのが始まりです。
九谷の発祥地は、雪深い山あいの里。雪に閉ざされ交通もとだえる奥深い村、加賀国江沼郡九谷村です。(現在の石川県江沼郡山中町九谷)「九谷焼」は地名「九谷村」の名から九谷をとったもので、江戸末期頃より九谷焼きと呼ばれるようになりました。また、この時期に製陶されたものを「古九谷」と呼んでいます。
しかしこの「古九谷」は事業として成功することなく、約40年で疑惑のため廃窯となります。その疑惑とは、加賀の片田舎の国でこんなすばらしい焼き物が、作れるはずがなく、中国よりの密貿易品ではないかと嫌疑が掛った以降約80年間九谷焼は空白のときが続き、江戸時代後期、文化3年(1806)九谷焼は春日山窯にて復興しました。
この窯を指導したのが京都の青木木米です。以降若杉窯、吉田屋窯、飯田屋窯、永楽窯、小野窯、庄三窯と次々に開窯。
これらの窯はいずれも産業指向をめざし、日常品の生産を行っていました。この時期の各窯は各々特徴ある作風を確立しており、今日の九谷焼の隆盛の源流となっています。
九谷焼は、日本を代表する色絵陶磁器です。その特徴であり、最大の魅力は「上絵付け」です。「上絵付けを語らずして九谷はない」と言われるほど、色絵装飾の素晴らしさは、豪放華麗です。
上絵付けの特徴は『赤、黄、緑、紫、紺青』の、五彩手(通称九谷五彩)という、みごとな色彩効果と優美な絵模様に表れています。
その他、『緑、黄、紫、紺青』を使用した青手古九谷など、色彩のハーモニーが魅力です。
九谷焼は、陶器も磁器も両方あり、陶器・磁器では使い方や扱い方が違います。その性質と見分け方を知っていれば、九谷焼選びが数段充実することでしょう。
陶器は土がバクテリアなどの作用でねばり気をおびた「陶土」を焼いて作られます。素焼きの状態で褐色の土の色をしている物が多いため、土の温かい風合いを大切にして、絵付けをしない物も多く見られます。日本の備前焼・益子焼などがそうです。
a.. 原料は陶土(粘土)で温かみがある
b.. 全体に、厚くぽってりした感じ
c.. 指ではじくと、鈍い音がする
d.. 高台には、直に土の色が出ます。陶器と磁器を見分けるのに一番分かりやすい所です。
磁器は石が細かく砕けて粘土質になった「磁土」を焼いて作ります。陶器に似ていますが、磁器のほうが硬くて薄い物が作れます。また地肌が白く表面がなめらかなため、鮮やかで細かい絵付けができるのも特徴です。叩くと「チ~ン!」と高い音がすし、瀬戸物と呼ばれ普段私たちが食卓で使っているお茶碗などがそうです。
a.. 原料は陶石(石の一種)で白く堅い感じ
b.. 薄くて軽くて丈夫
c.. 指ではじくと"チン"と金属質の音がする
d.. 高台にも釉薬をかけてあり、白いのが磁器の特徴です。